年 | 内容 |
1887年 | ヴィテブスク(白ロシア)のユダヤ人地区に9人兄弟の長男として生まれる。 |
1907年 | サンクト・ペテルブルグの王立美術学校に入学する。この頃、最初の妻となるベラ・ローゼンフェルトと会う。 |
1910年 | パリに出る。「パレット」「グランド・ショミエール」等いくつかの美術アカデミーに通う。 |
1914年 | デア・シュトルム画廊(ベルリン)で最初の個展開催。 |
1915年 | ベラ・ローゼンフェルトと結婚。 |
1922年 | ベルリンに出る。銅版画家ヘルマン・シュトルックに版画の技法を学び、出版者パウル・カッシラーの依頼により、『わが回想』のための挿絵を銅版画で制作し始める。 |
1923年 | サンドラールを通じて画商のアンブロワーズ・ヴォラールに招かれパリに移る。 |
1927年 | ヴォラールに依頼され、サーカスをモチーフにグワッシュを19点制作する。 |
1930年 | 銅版画集『ラ・フォンテーヌの寓話』を完成。ヴォラールから「聖書」の挿絵を依頼される。 |
1931年 | 「聖書」の銅版画を制作するため、パレスティナに旅行する。 |
1933年 | バーゼルの美術館で回顧展。マンハイム美術館のシャガールの作品がナチスに焼却される。 |
1937年 | フランス国籍を取得。イタリアを旅行する。この年ドイツ国内のシャガール作品がナチスによってすべて撤去される。 |
1939年 | ヴォラールが死去。カーネギー財団から賞を受ける。 |
1941年 | ニューヨーク近代美術館の招聘を受け、アメリカに向かう。途中、ナチスに逮捕されるが、アメリカ領事らの尽力で釈放される。アメリカで画家マティスの息子ピエール・マティスがシャガールの画商となる。 |
1944年 | 妻ベラが死去、シャガールは悲しみのあまりしばらく制作ができなくなる。 |
1946年 | ニューヨーク近代美術館で回顧展開催。1948年フランスに戻り、パリ郊外に住む。画商エメ・マーグを知る。第24回ヴェネチア・ビエンナーレで版画大賞を受賞する。アメリカのパンテオンブックス社から『アラビアンナイトから四つの物語』が刊行される。 |
1950年 | ヴァンスに移る。パリのフェルナン・ムルロー版画工房での制作を始める。刷り師シャルル・ソルリエと親交を結ぶ。 |
1952年 | ヴァランティーナ・ブロドスキー(ヴァヴァ)と知り合い結婚する。 |
1953年 | 「ダフニスとクロエー」のためのグアッシュを制作する。 |
1961年 | パリの装飾美術館で「イスラエルの12の部族」と題するエルサレムに制作したステンドグラスの展覧会。この展覧会はニューヨーク近代美術館へ巡回する。 |
1962年 | エルサレムのハダッサ病院シナゴークのためのステンドグラス制作のため、イスラエルに旅行する。 |
1964年 | パリのオペラ座の天井画が完成。 |
1966年 | 石版画集『出エジプト記』が刊行される。 |
1967年 | 石版画集『サーカス』がテリアードより刊行される。 |
1973年 | ニースに国立マルク・シャガール聖書のメッセージ美術館が開館。 |
1974年 | 石版画集『オデュッセイア』が刊行される。 |
1977年 | レジオン・ドヌール勲章を受章。ルーブル美術館で展覧会開催。 |
1985年 | 3月28日逝去。 |